ブレインパッドでの8年間を振り返って

新卒から約8年勤めたブレインパッドを3月に退職しました。

「受託分析」という生存/スケールが難しい事業分野で、ブレインパッド社は着々と大きくなり、そこでデータサイエンティストとしてファーストキャリアを過ごせたことは今後の僕の仕事への価値観/方法論に大きく影響を与えたのだろうと思っています。
なので8年経って思い至ったことを忘れないうちにブログにメモしておこうと思います。
新しい職場でこの考えをアップデートしたり壊したりしていきたい。

僕がいた2015年~2023年の激動のデータ/AI分野の業界の流れについてはこちらのpodcastでも話したので良かったら聞いてください🙂

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※なお、全ての行末には「知らんけど」が省略されていることをご了承ください。

 

データ分析の仕事

「問題の抽象化・構造化」の価値がますます高くなっている

  • 単発の問題に回答を出すことよりも、複数の/広い範囲の問題を抽象化/構造化し、それに優先順位をつけるという仕事が非常に重要になっている
    • 各現場で各自が日夜頑張って仕事している。しかしそれは”ローカル最適化”している場合が多く、頑張った割に成果が出ない現場が少なくない
    • 必要なのはちょっと高い視点から横串に問題を整理する活動、グローバル最適化とか問題の抽象化とか言われるもの
      • しかし、人間は”グローバル最適化”問題を解くのが非常に苦手(未来はこの部分をAI的なものが担うと思っている)
  • データ分析者こそ問題の抽象化に取り組むべき。スキル/立ち位置共にそれができる一番近い位置にいる。
    • データ分析の人には各現場で発生する具体的なユースケース(要望や課題)が嫌というほど集まっている(データが発生しないビジネスがほぼ存在しなくなってきているため)
    • 複数の現場からあげってくる似たユースケースを知る機会が多い。それらをまとめて抽象化/共通化する(グローバル最適化する)ことが大きな価値となる
    • 局所最適して万事解決なデータ分析はほぼ無く、データは余裕で部署レベルを超え複雑に利用されている。越境や横断が当然求められる
  • 他にも、深いドメイン知識がないと取り組めない問題でも、抽象化/型化することでドメイン知識がない人(その道X年の正社員じゃない業務委託の人など)でも対処できる問題になったりする。問題の整理/抽象化はビジネスのスケール・本質化のためにも本当に尊い活動。

「現実がこい」: DXとはなんだったのか

社内勉強会で「現実がこい」というパンチラインを発した人がいた。これは「DX: デジタル化してトランスフォーメーションする」のではなく、「トランスフォーメーションするために現実(Real)をイジる」という主旨の発言だと思っている。

DeepLが英訳しやすい日本語を書き、stable diffusionがピンとくる呪文をつぶやき、whisperが聞き取りやすい話し方に気をつけ、ChatGPTから適切な回答を引き出しやすい質問を投げる。個人のレベルでやっている「機械によしなにやってもらうために人間側の挙動を変える」ことを、ビジネスでもやるということ。ビジネスになると急に、「人間の活動が複雑すぎてどうしようもないから機械側が合わせろ」となっている。

真のDXとは、従来の人間のワークフロー(現実)をデジタル化することではなく、デジタル化するために人間のワークフローを徹底的に整理/変更することを指すと思っている。DよりもT(transform)がキモ。現実側をtransformしてデジタルに寄せる、現実がデジタルに来るべき。 コンピュータをツールとして利用するのではなく、コンピュータそのものに労働をさせないといけない。「労働力」に昇華するまで自動化を頑張らないといけない。

ここで必ず出てくるのが「デジタル化ができない」という声。現場では「これは絶対に自動化できない」というフレーズを100万回聞くが、「人間が責任をとるべき箇所だから自動化できない(ex.食料品質管理, 医療領域 等)」以外の理由ならどんなに大変でも地道にハードネゴシエーションして機械自動化のための体制へちょっとずつでも変更するしかない。現実はそれが唯一の道だと思う。実はデジタル化できるものが非常に多いし、できないならその作業をいっそ捨てるという選択肢もある。ここを極限まで考え、判断をつけるというのがデータ分析者に求められる”リーダーシップ”の一つだと思っている。

現代こそ「理想からの逆算」が必要

正直、現代の生活はもはや十分過ぎるほど便利である。これ以上なにを望むんだという気さえする。ビジネスは基本的には「誰かの問題の解決」を行う営みであるならば、一般市民が日常生活で「解決したい」と感じる問題は見つかりにくくなっている。

それに伴い、おおよそ解決したはずの過去の問題を現代もこねくり回してるだけとなった仕事も増えている。「なんのためにやってるんだろう」「これ本当に意味があるのか」と思う場面が増えている。なので逆算思考が必要になる。

逆算志向では、「現状の課題の解決」からスタートするのではなく、「100点満点の未来」「Xの未来は斯くあるべし」という出来るかどうかもわからない”強い理想”を出発点にする。スティーブ・ジョブズiPhoneのような。大きな不満が無くなり、過去の延長の仕事が少なくない日本ではこの志向のほうがむしろ必要なのかもしれない。おそらくDXがうまくいかない企業はこういった”強い理想”がまだ持てていないことも大きいと思う。

データ分析は現代における「水戸黄門の印籠」

組織で動く以上、「合意形成」は非常に重要である。

人間は活動の大部分を勘と経験で行っており、ちょっと怪しいな?というところにだけ特に論理的推論を組み立てているように見える。論理的に考えることは大部分の人間には難しいので「納得感」「肌感覚」という勘や経験に近いものが大事にされている。それらのロジカル&肌感覚の両方で人を納得させる(合意をとる)には恐ろしくコストがかかり、ましてや多様な意見を包摂することを目指す現代の組織でコンセンサスをとるための納得コストはもうほぼ誰も払えないところまで来ているように見える。そして組織は硬直化し、意思決定すらできなくなってきている。

現代における納得コストが最も低い道具が「データ」である。データに語らせれば新人の仕事でも偉い人が耳を貸し、肌感覚人間を黙らせることもできる。これはめちゃくちゃ凄いことに思える。

これはまるで水戸黄門が印籠を出せば誰もが黙るというあのシーンに似ている。印籠に逆らって意見を通す方がコストが高いと誰もが理解できるから(ちなみに、同じ働きをする最も原始的な道具は”血筋”だった)。データはとんでもない道具になってしまったなぁ。

一方で、「データは根拠(説明能力)が強すぎる」という悩ましい問題もある。
データ分析者が気をつけたいのは、データの力や全能感に酔いしれ、「データこそ真実!正確!あとはカス!」となること。アニメ「サイコパス 」でも、全知全能AIシステムが効率と合理性を理由に民意を無視し施策を強制的に押し通そうとするのに対して、主人公が「歴史に敬意を払いなさい」と嗜めるシーンがある。 大企業でも一見無意味なシキタリには背景や文脈があり、回り回ってそれが最も合理的だったりその組織にとって最善なことが意外にある。人間の創意工夫の歴史は馬鹿にできない。データの力に溺れてそれらを軽視すると痛い目に会う。 また前項で「理想からの逆算(=強いビジョン)が大切」と書いたが、ビジョンは往々にしてファクトが弱く、説明能力でデータ分析の結果に負けてしまいビジョン無き局所最適の蛸壺に陥るというのを何度も見てきた。これを打開するには意思決定者(=ビジョンを打ち出す人であるべき)がデータ分析(印籠パワー)の功罪を深く理解しておく必要がある。

ちなみに、企業の意思決定における「サイエンス(データ分析)」「アート(斯くあるべしというビジョン)」「クラフト(過去の実験の歴史)」のパワーバランスの重要性について興味がある人はこちらの本がとてもおすすめ。

amzn.to

 

牛刀割鶏: 「最適」を選ぶ難しさ

知識をたくさん持っていることと、”最適”な手法を選択できる能力は別物という話。

昔、某案件にて、膨大な時間と知恵を総動員して作った深層学習モデルを、先輩が数日で作った枯れた機械学習モデルが精度面で肉薄するという、ある意味でゾッとする出来事があった(簡単な方法で出来たなら今までの無駄な時間をどうするとクライアントから怒られる) 結果、このシチュエーションではとにかく精度の高さを優先する(かつ、PRのために深層学習モデルが好ましい)となり事なきを得た。

この手の話はとてもよくあることで、実際に「最適な手法を選ぶ」作業は想像よりもややこしく現場によって常に「最適」が異なる。精度や実行速度などのわかりやすい指標だけではなく、PRの派手さ・既存システムとの連携難易度・現場関係者のリテラシー・現場の稼働可能人数・予算/工数 など、非明示なパラメーターの機微に大きく影響される。これらは知識の多さよりもコミュニケーションの多さ, 裏の意図を汲み取る空気を読む力みたいなものがモノを言う場合も多い。

この出来事をみて、ベネズエラ人の先輩が教えてくれた中国の故事が「牛刀割鶏(鶏を捌くのに牛用の包丁はいらない)」だった。

タスクが難しいほど高度な武器が必要ではなく、なぜタスクが難しいのかをまず疑い、その構成要素を理解し分解して、まずは最小構成の手段でやってみる。「もっと簡単な方法があるとおもうんだけどな〜」「先にやるべきことがあると思うんだけどな〜」と自問自答する癖はこの経験から来ている。

プロジェクトマネージャーという役割

マネージャー志向: どこまでを自分のコントローラブルな範囲としたいか

データ分析者がマネジメント層になりたくないというのが多くの企業で課題らしい。

データ分析やエンジニアリングは現場で手を動かすのがあまりにも楽しいので、相対的にマネジメントのほうが楽しくなさそうに(外側からは)見えるのは仕方ない。

マネジメントと一口に言っても、プロジェクトのマネジメントなのかピープルマネジメントも含むのかなどいろんな要素が絡むのでこれもまた外からみてマネジメントの仕事がよくわからなくなってる要因になってる。

エウレカ社の奥村さんがマネジメントの難しさや楽しさについてnoteを書かれている。

note.com

僕が共感したのは、「組織や仕事についてのモヤモヤを直接自分が裁量を持って関わるほうが実は心理的にヘルシー」という部分。

データ分析を仕事にしている人は、改善志向や責任感が強い人が多い印象なので、「飲み会でグチグチ仕事の文句を言ってるだけの自分が嫌い」という人は少なくないのではと思う。そういう人は実はマネジメントをやるほうが一定イキイキ働けるのではと思っている。

腹落ちしてない指示やtop downな命令による失敗はムカつくが、自分が考えて、自分がメンバーに指示して、それでも失敗したら自分の反省しか残らない。こちらのほうが実は余程メンタルに健全だし何より成功しても自己肯定感が上がるし、失敗しても学びを得られるので結果的に得をするのは自分とも言える人が多いのではと思う。

メンバー、PM、組織マネージャーでコントローラブルな範囲は当然増えていく。

メンバーは特定のタスクだけについてコントローラブルに見えるが、本当はそれすらもPMの意向で変えられるので実は実質的にメンバーがコントローラブルなものは何もない(どれくらい裁量が渡されるかはPM次第という意味で)。

PMはプロジェクトについてコントローラブルに見えるが受託分析は実は違うと感じる。メンバーに対してコントローラブルなので範囲は少し増えてはいるが、プロジェクトについてはクライアントの鶴の一声でガラポンされるので受託PMでもコントローラブルではない。「PMはそこもコントローラブルにするためにクライアントと”パートナー”になるべき」といわれるが、それは受託会社側の理想論であり、クライアント側はなんだかんだやはりそこまで期待していない場合が少なくない。受託PM側が「ガラポンが納得できないのであなたの上司にかけ合わせてください、説得してみせます」と言われてもクライアントも困ることは目に見ている。僕が受託分析の限界だと感じているのはこのあたりかもしれない。受託分析ではなんだかんだ解決できる問題のスコープが狭い。

もっと本質的な問題解決をしたいなら、当該企業の社員になり、その社内でもっとコントロール範囲の広い(偉い)ポジションを取るしかないのではと思う。データ分析者はもっと組織内のポジションを上がって意思決定層に発言権を得なければ意味のある仕事ができないという話は Data Analyst Meetup Vol.10 でも強く語られている。

偉くなってコントローラブルな範囲が増えるとストレスが増えるというが、少ないからこそストレスが増えるという人もいる。データ分析者はとりあえずポジティブにPMポジションを目指して体験してみるのが良いとは思う(ダメだったら気楽にその時に考えよう)

PM育成の難しさ: 向き不向きが大きく現れる

  • (様々な意見があることを理解しつつ、)データ分析に趣向がある人を”教育”して一人前のPMにすることはほとんど現実的ではないかもと思っている派
  • プロジェクト/プロダクト/人の管理 に対する”マネジメント”と呼ばれるタスクには、人によって性格なども含めた向き不向きがあるように思える
  • そしてその向き不向きは大卒年齢くらいにはほぼ決まっているように感じる。その段階で「向いてなさそう」という人はやっぱり向いていない可能性が高い。もちろん努力によってできなくはないが、ヒソカのいうメモリの無駄遣い 的な状態になり本人もツライ。そうなりがちなのがマネジメントという役割な気がする。
  • 育成としてできることといえば、向いている人に対してはごちゃごちゃ言わない/邪魔をしない/ストレッチな挑戦の場を提供しサポートする/既知の知見はバンバン与える くらい。そして向いていない人には強いてPMをやらせることをしないことがお互いの為に良いと思う。
  • ただし、PMにも様々なレベルがあり、1.小規模PM(メンバー ~1,2人)、2.中規模PM(メンバー ~3,4人)、3.大規模PM(メンバー 全部で10人前後)があるとして、小規模PMは向き不向き関係なく全員やってみるべき。
    • PMがどういう気持ち, 何を気にするのかわかる。仮に向いていなくてPMを辞めたとしてもこの経験は必ず活きる。
    • 2,3からは向いてない人には努力でどうこうするには圧倒的にコスパとメンタルに悪いため向いている人だけチャレンジすれば良い。しかし、社歴が増えるほど多くの企業では「どれだけデカい案件のPMができるか」が評価の大きなところを占めるっぽいのでレベル1で留まる代わりに評価は渋くなる覚悟が必要になる。大規模PMはできないが技術力は組織の中でもtopN%に入る、的な生き方が評価される会社なら良いがそれは会社に寄る。
  • マネジメント気質みたいなものは不思議で、一定の性癖のようなものに感じる。仕切りたがり・当事者意識/使命感意識が謎に高い・人に指図されるのが嫌・自信家、承認欲求が一定以上高い などなどの、仕事とは関係ないその人の性格にも大きく依存している気がする。めちゃくちゃ端的には、学校などで”学級委員長”をやったことがあるようなタイプが謎にそういう気質を持っていたりするような印象がある(しらんけど)

良い問題がチームをリードする: PMは問題を言語化してナンボ

akirachiku.com

「PMの最も大切なスキルのうちの一つは影響力によって向かう方向を示していく事である」というフレーズがある。自分もこれに同意する。

ここでいう”影響力”とはその人がこれまでに培ってきたもののことを指し、それは技術力だったり、コミュニケーション力だったり、その人が得意な武器なら何でもよくて、それを使って”良い問題”を示しチームのテンションを上げ、解決を目指す。

”良い問題”の定義の方法もその時々によって違う。僕の好きな話に「リーダーシップとマネジメントは違う」というやつがある。

大体の案件においてPMが示すべき”良い問題”は「マネジメント」側に書かれていること、つまり”複雑性の縮減”を実行するために生まれる場合がほとんどと思う。ただ、分析のPJにおいては「やってみんとわからんな〜」という意味で、”不確実性への対応” をやったり、「データでなんかできませんか」と依頼され ”あるべき姿を示す” など「リーダーシップ」側のことをやっている場合も少なくない。どちらが得意か、テンションが上がるかというのも人によって異なる。分析PJは目指すべき方向、可能な選択肢がとても多い。 だからこそ「こっちに進むぞ」という明確な意思表示がとても重要で、PJがコケるorつまらないものになるか否かはPMの示す「向かう方向次第」な部分がけっこうある。

分析PJはともすればすぐに脇道に逸れる。なので「向かうべき方向」は必ず目に付く場所に置き、定期的に振り返る必要がある。「その場その場で喋って伝える」はダメで、言葉はすぐに霧散する。テキストに書き出して誰でもいつでも見れるようにすることが本当の「言語化」。パターンや説明することが多すぎて書いてるとキリが無いという気持ちになる。わかる。でもそれがPMの必須の仕事なので。

組織

All you need is “企業文化”: 「いいやつ」と働く

ブレインパッドのデータサイエンス部の好きだったところの一つは「ヤバい人」がいないところだった。 話しかけても塩対応されることはないし、教えて欲しいとお願いすると1を聞いて10教えてくれる。最高だった。これはなぜかなと考えたがまだ自分のなかでは上手い回答が見つけられていない。僕が特に好きだった人たちは「社会に貢献したい」「自身のスキルを伸ばしたい」「データ活⽤の促進を通じて持続可能な未来をつくるの理念が好き」という点が良く共通していた印象があるのでこのあたりに何かある気はしている。

いろいろな技術的課題も、ビジネス的課題も、結局は ”人間関係が良いかどうか” に帰着している気が年々増している。

人間関係の良さを作るためには一定の人間的同質性を共有していること、そしてそれによってコンセンサスコストが低いことが必要っぽいが、同質過ぎてもダメっぽいので難しい。それらを含む、組織の雰囲気を伝える定量化できない微妙な塩梅のパラメータを醸し出しているのが「企業文化」というやつっぽい。企業文化が存在すると、この組織に入るとどういう人は幸せになってどういう人はそうならないかがわりとはっきりとわかる。Netflix社にも「頭はいいけど嫌な奴、お断り」という文化があるらしい。

確かに転職活動をしていて、はっきりと企業文化を伝えてくるところとそうじゃないところがあって面白かった。人が減る日本にとって優秀な人の獲得はますます難しくなっていくが、なぜか優秀な人ほど「なんとなく会社の雰囲気が良さそうだったから」という曖昧な入社理由な人が多い印象がある。はっきり言って外から見る程度でその会社が良いかどうかは給料の多寡や社員の在職年数くらいでしか察することができない。でも実際にはそれを最低条件とした上で「いい人と働けそうな”雰囲気”を感じられたか」に尽きる。

「なんとなく雰囲気が良い」はおそらく理詰めで作れるものではなく、ぼんやりできあがるものでもなく、一部の人たちが中心となって発している”熱”がじんわりと時間をかけて周囲にも伝搬して薫ってきているものと思う。この熱源を特定し、冷水をかけないことが組織において重要。これからもいい人たちと働きたい。

大企業における空気を読んだ越権: アホのフリをしてどんどんやっちゃう

大人社会には良い意味でも悪い意味でもグレーゾーンが存在し、グレーゾーンを触るときは「言うな聞くな」というお作法が存在する。偉い人は立場上、「XXしてもいいですか?」と聞かれるとダメと答えざるを得ないときがあるし、また、グレーゾーンにも関わらず堂々とOKだと言いふらす行為も目を瞑ることができなくなる。

アホのフリをして(わかっているがわかっていないフリをして)やっちゃうというのも、停滞する空気感が漂う場から変化するためには一定必要になる場面がある。ポイントはアホの「フリ」であり、空気を読む(”アウト”と”グレーゾーン”の境界線に見当がついている)ことである。本当にアホなことをするとヤバいので、このニュアンスがピンとこない人にはオススメしない。

何かを変えるために必要なのは具体的な「行動」のみである。そして、現体制に対し真正面から膨大なコストを払ってヘトヘトになりながら行動して途中で力尽きるよりも、グレーゾーンのお作法を守って具体的な行動を積み重ねて切り開かれた道が結果的に正道となることもある。

ただ、この方法を全面的に奨励するわけではない。停滞した現場で新たに何かをスタートさせるときには一定役に立つが、ある程度長期スパンの視野を持っておかないと死ぬしめちゃくちゃ組織の迷惑になる

 

業界/キャリア

データ分析者がロードマップをつくる

草野社長がよくお話されている&こちらのnote(日本のAI導入効果がアメリカの7分の1程度しかないのはなぜなのか)でも言及されているように日本のデータ活用の課題は、

外部ベンダの力なしにはプロダクトの企画、開発を行うことができない

リーダー層に、プロダクトマネージャー型の人材が不足している

7割超の企業でDX推進のビジョン・ロードマップがない

あたりというのは現場の肌感覚としても実感している。

つまり端的には我々のようなデータ分析者が

  • 受託(=外部ベンダ)としてではなく、事業会社に入り、
  • 発言権と実行権があるポジションに就き、
  • AI活用のビジョンロードマップを我々が引いて推進する

ことだと思う。僕は前項のような理由で受託分析には掘れる限界があると思うので事業会社に行ってみようと思う。

これまでの案件経験から、とくに3つ目の「ビジョン・ロードマップがない」というのが最もクリティカルな課題と感じている。

ロードマップがないため全体最適ができず、過去の延長として各現場で効果の高くない個別最適を頑張っているというように見える。「生産性が低い」はこれのことだと思う。 特に最近の事業ロードマップにはデータ戦略が不可欠であるが、これははっきり言ってデータ分析経験者しか立案ができないのではないかと思う。なのでデータ分析者は組織の中でもっと偉くなってロードマップをひいて推進できるポジションまで上がらないと企業の推進・立て直しは難しいのではと思う。僕は以下のツイートに全面的に賛成している。データ分析者は現場の課題解決で終わらず、会社の戦略に口出ししてナンボだと感じる。

 

妄想未来: 定量化できないものの価値が見直される

「データ化できないが重要なのでどうにかしたい(分析して改善したい)」というニーズが増える気がする。

何を言ってるかわからねーと思うが僕もわからない。ただこの分野にとても関心がある。具体例を一つ出すとこれ系の話。例えばコミュニティーのハブになっているような人でも金銭貢献などわかりやすい評価指標が確認できなければ需要ではない(いなくても問題ない)とみなされるような話。

togetter.com

資本主義がうまく駆動しない領域があることが目立ってきている。

資本主義は「定量できること」が前提なので、資本主義がぶっ壊れた世界では定量化できないものがなんとかして人間に認知可能な状態にされ大事にされそう。

定量データ分析をしていた人だからこそ、非定量分析の方法も検討できるはず。定量化できるものはほとんどがAIによって自動運用・管理されるが、定量化できない世界を人間がより大切に感じて守っていくというのが次の世界線になりそう(SFの世界です)

定量化できないのでこれらの活動はお金にはならない。ただ、FIREした億り人やIPOした起業家など、経済的には一度人生が”あがった”人は金銭的制約から外れるとどうやら「お金換算されないが中長期的に必ず社会に対して価値がありそうなこと(わかりやすいものだとコミュニティ活動、教育事業、自然保護等)」に精を出す傾向がある。人類にとってもその方が幸福な未来に見えるけどどうでしょうね。

同時期に退職された優秀なデータサイエンティストの先輩も「生物の多様性を守る」ことの価値をビジネス側にどうやって示すかというお仕事をされるそう。今は99%の人がピンとこないと思うが、おそらくこういった「お金にならないしデータ化が困難だけどどうにかして改善したいこと」系の仕事が今後は増えていくと思っている。

DSのネクストキャリアのひとつ: Data Product Manager へのお誘い

僕はキャリア論について本当に興味がないのと、実際になにもわからん、わからんし結局は各自そのときに好きなことをやったら良いと思ってる派。

そんな自分でもちょっと面白そうだなと思って次の職場(10X社)でチャレンジするのが Data Product Manager(DPM)というポジションなのでその宣伝をしたいと思う。同志が見つかると嬉しい。

DPMや、Data as Product という考え方については次のスライドがわかりやすい。

speakerdeck.com

 

約三行要約

  • データがプロダクトに並んで重要になった。かつてはデータはプロダクトの付属品だった。今は違う。データ単体で販売されたり、むしろプロダクトよりも蓄積されたデータの方が価値があると見られるプロダクトも出てきた。
  • PdMと並び、DPMというポジションが確立しつつある。DPMはプロダクトが生成するデータの価値をさらに高めることを専門に動く特化型PM職種の一種。
    • PdMは忙しいのでデータの世話まで見きれない、かつデータ活用は専門知識が必要なのでそもそもPdM一人に背負わせるのは酷すぎる。
    • 現実的にはデータ部分だけでもPdMからもう少し切り離す必要があり、それをDPMが担う。
  • 各機能や各担当チームの中では局所的にデータ利活用が進んでいても、全体を見るとデータの不整合が発生しているということはよくある。DPMはプロダクト全体を中長期の視点でも考え、データの不整合が発生しないように目を光らせる人。
    • データの不整合への対応というだけではなく、企業戦略とも合致し、中長期で変更に強いデータパイプライン/データ基盤を作っていく役目。これはデータ分析者かつビジネス側ともツーカーで会話できるより高いスキルが必要となる。(現在の日本の大企業はこのあたりが決定的にできていないと感じる)

「転職するなら事業会社いきたいなー、でも特にやりたいこととかドメインはないんだよなー」という人はもしかすると上記のような観点でデータに携わるDPMというポジションは刺さるかもしれない。新分野でまだベストプラクティスなども溜まってないので新たな学びがたくさんあるようにも感じる。特に最後の「企業の戦略に合わせてデータ活用できるためのデータパイプラインを設計する」というミッションは並のデータ人材では難しく、「ビジネスとのすり合わせ」と「手を動かすデータ分析」の両方をやってきた人じゃないと難しいのではと思ったりする。問題が難しい分、きっと解く楽しさがあるはず。

PdMはプロダクトの次の方針をチームに説明するためにデータ分析の結果を示してチームをリードする。なのでデータアナリストがPdMになるのはシナジーがあると思っていたが、DPMのほうがさらにデータ分析キャリア側から越境しやすいかもしれない。

これからのビジネスでは、GPTのような汎用的大規模言語モデルをいくつか組み合わせたものをどこの会社でも当たり前かつコア機能として利用するようになると思っている。それに伴い、各企業がもつ独自データで追加学習した各社オリジナルのAIを各社独自に作る流れがあると思う。DPMが綺麗なデータやパイプラインを作っていると、それがそのまま企業AIを育てる揺りかごになるかもと妄想している。今後のビジネスの中核となる企業AIはDPMが育てるのかもしれない(しらんけど)

 

と、途中でさらっと書きましたが次は10X社でデータプロダクトマネージャーとして働きます!楽しみ!

 

(P.S)

大昔から、データサイエンスの部では退職者が最後に何かしら卒業発表をしていくというお遊びイベントをやるのですが、今回は僕とほぼ同時期に9年目の先輩も退職という古参メンバーx2名の合同イベントとなり、オンライン/オフライン併せて100名くらいの人たちに追い出ししてもらった。

 

そもそも8年もいるなんて自分が一番思っていなかったのでなんだか実家を出て一人暮らしを始めるときの寂しい気持ちを思い出した…

創業19年目を迎えたブレインパッドは、僕の退職直後に社長交代のビッグニュースも流れ、これからまたもう一段階組織も進化するのだと思う。節目のタイミングに退職となり後追いでまたなんだか感慨深い気持ちになってしまった。

僕にとってとても充実したファーストキャリアになりました。「元ブレインパッドの人やっぱりすごいな」と業界で言われるように新しい職場でも頑張りたい。

最終発表イベントの後にみんなで:)

最終日に貰った19年記念お菓子